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日々出会った人から教えてもらったことや、気づいたことをブログにまとめてみました。

落ち込んだりもしたけれど、会ったこともない人たちに励まされましたよって話 その1

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こんにちは。

落ち込んだ時はいつもベッドと壁の隙間に挟まってじっとしている、タケナカアユムです。

 

ここ数日、落ち込んだり恋したり会ったこともない人に背中を押してもらったりと、2時間ドラマかってくらいのテンポで毎日いろんなことがあったんです。

 

いや、船越英一郎が出てくるタイプのドラマじゃなくて良かったよ、ホント。余計話がややこしくなるとこだったから。

 

ブログの更新も忘れるくらいの、この数日の出来事。私の古い友人に敬意を表する意味で、ここに書かせて下さい。

 

 

 

イシダとの出会い

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その友人と知り合ったきっかけは、仕事でした。彼とは、私が社会人になってまもない頃に知り合いました。

 

その頃の私は、記者の仕事をしてたのですが、彼は取引先のデザイン会社で働くデザイナーでした。

私と同い年で、見た目はノンスタイルの石田さんみたいな感じ。うん、そうそう、当て逃げしてない方ね。面倒なので、その友人のことをイシダと呼ぶことにします。

 

イシダとは妙に気が合って、毎日夜中まで仕事して、そのまま飲み歩いて朝を迎える、なんてことを繰り返していました。

 

見た目はノンスタイルの石田さん風だったけど、喋る内容はますだおかだの岡田さんみたいな感じ。閉店ガラガラの方ね。

 

イシダは酒を飲むと「一生のうち一度は、富士山に登りたいなー。それと、世界中を歩き回りたい。そこで写真を撮りたいんだ」と、よく喋ってました。私はどちらも興味なかったので、はいはいもうその話聞き飽きたから。閉店ガラガラですから。と思いながら聞いていました。

 

当時イシダがデザインしてたのは、雑誌の誌面やチラシでした。カメラマンは契約や外部委託だったらしく、カメラマンが手配できない時は、イシダが写真を撮ることも多かったみたいです。

 

何度かイシダの家に遊びに行ったことがありましたが、その時見せてもらった写真は、素人の私が見ても凄いと思えるものでした。

 

モノクロ写真が好きで、日常の一コマを切り取るのがとても上手い。見ていて切なくなるような、いい写真でした。

 

イシダの一言が原因で

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イシダとは、3年くらい一緒に仕事をしていました。

 

ある日、いつものようにイシダと夜中まで仕事をしていたのですが、目の前にいるイシダから、私のパソコン宛にメールが届きました。

 

「探さないでください、いや、やっぱ探してください」

 

全く意味が分かりません。お前、目の前にいるじゃないか。こいつ、ふざけてるのかと。

 

「おい、イシダ、ちょっと外でタバコ吸おうか」

 

まだ何人か残っていたので、私はイシダを外に連れ出し、メールの意味を聞いてみました。

 

どうやら、仕事を辞める決心をしたみたいでした。いつも話していた、海外で写真を撮る夢を実践するみたいです。プランは立ててるのか?と聞いたところ、かなり具体的に決めている様子でした。

 

正直、イシダと仕事ができなくなるのが寂しかったんですが、「そっか、頑張れよ」としか、その時は言えませんでした。

 

でもその後、イシダが言った言葉が、私の人生を大きく狂わせたんです。

 

「一緒に行こうぜ」

 

若気の至り

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ふと気がついたら、私はあんなに楽しくて仕方なかった仕事をあっさり辞めて、アメリカ行きの飛行機に乗ってました。

 

もうね、親には泣かれましたよ。当時付き合ってた彼女からは、散々バカにされました。でも結局、若いうちにしかそんなバカはできないから、ということで親には理解してもらえましたけど。あ、彼女?別れましたよ、はい。

 

アメリカに向かう飛行機。隣にいるはずの、イシダはいませんでした。

 

あの野郎、誘っておきながら、

「俺がどんな写真を撮るか見たいから行くんだろ?見たけりゃ、捕まえてみな。銭形のとっつぁん。そして待ってろよ、パツキンのふーじこちゃ〜ん」

 

なんていう腹立つメールを残して、先にアメリカに行ってしまいました。

 

そんなイシダと、世界中が舞台の鬼ごっこを繰り返しながら、いろんなところでいろんな人に会いました。イシダは、たくさんの綺麗で切なくなるような写真を撮りながら。私は、旅行情報ブログや日本語情報誌に記事を書きながら。

 

あ、この話、書き始めたら止まらなくなるから、また別な機会に。

 

一枚の葉書

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帰国してから、イシダはまたデザイナーの仕事に就きました。

私は、商社に入りました。

 

イシダとは、仕事で関わることがなくなったので、年に数回会ったり、年賀状のやり取りをするだけの関係になってしまいました。

 

でも、会えばすぐに昔のように話ができました。ブラックマヨネーズ的なテンションでね。

 

そうは言っても、毎年会う回数は減り、年に一回届く年賀状で、イシダにも家族が増えたんだな、ということを知るくらいの付き合いになっていました。

 

 

つい先日の事でした。仕事から帰ってポストを開けたところ、ハガキが1枚入っていました。

 

 

喪中ハガキでした。

 

 

差出人は、イシダの奥さん。住所は静岡。イシダ、享年40歳。

 

ルパンと富士山とベッドの隙間と

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私は翌日の午前中、普段の10倍はあろうかというスピードで仕事を終わらせ、午後から有給を取りました。もうね、普段からこれくらい仕事しろよと。

 

そして、大阪から静岡に向かって車を走らせました。ルパンを追いかける、銭形ばりにね。まぁ〜てぇ〜ルパ〜ン、お前どこまで逃げるつもりだぁ〜、って、涙が止まらなかったけどね。

 

その日はとても晴れていました。東名高速を車で走っていると、左手に富士山が綺麗に見えました。雲の上から、雪化粧した富士山が頭を出している姿は、とっても幻想的。イシダだったら、凄い写真が撮れそう。でも、イシダと一緒には登る事がなかった、あいつの好きな富士山。

 

そんなことを想いながら、思わずツイート。

 

 

ハガキに書かれていた住所に着くと、事前に連絡をしておいたので、イシダの奥さんが家で待っていてくれました。

 

今年の10月に、イシダは事故で帰らぬ人となったそうです。どんな事故だったのか聞いてみたんですが、詳しく教えてはもらえませんでした。それがどんな意味なのかくらいは、何となく伝わってきましたけど。

 

その日は静岡のホテルに泊まりました。ベットと壁の隙間に挟まりながらいろんなことを考えました。ベットと壁の隙間に挟まったのは、いつぶりだったかな、とか。明日ホテルの掃除をする人は、ベットメイク楽だろうな、とか。どうでもいい事を考えていると、全てのことがどうでもいいと思えてきました。

このブログも、もう削除してしまおうと。

 

そんな事考えてたら、朝になってました。

 

 

 

長くなりましたね。続きは後ほど。